気を失って意識のない契約主に不埒な行為をしでかしていた悪魔を抉るように蹴り飛ばして制裁を加え、ついでにビデオカメラも踏み潰したあと、己の助手である彼女の側にしゃがみ込む。一通り様子を見て、目立った外傷がないことに一応は安堵した。
「さくまさん」
 ぺちぺちと頬を二度、軽く叩いてみるが反応はない。よほど強い衝撃を食らわされたのだろうか。黒髪が乱れて、赤縁の眼鏡もずれていた。
「ベルゼブブ」
 直視するのもアホらしい格好でのびている変態の側に立つ蝿の悪魔を呼ぶと、くるりと振り返って半眼ぎみの目がこちらを見た。
「そこの変態とそいつの悪魔を捕らえて、逃げられないようにしとけ」
「承知しました」
 先ほど自分が蹴り飛ばしたもう一匹の悪魔には見られない聞き分けの良さで、一見ペンギン姿の悪魔は頷いた。好都合にも気絶してくれている相手を起こす道理はないと判断したのか、そのまま変態男の足首を掴み、歪に口を開けた異次元の穴へと、ずるずると引き摺っていく。片足だけで引き摺られているせいで、男の格好はかなりあられもないことになっていたが、そんなことは至極どうでもいい。
「べーやんべーやん、縄あるでー」
 いつの間にか復活していた淫奔の悪魔が、下半身の毛皮と思しきところにごそごそと手を突っ込んだかと思うと、何故か二条の縄を引っ張りだした。人間とは常識の価値観が異なる悪魔に「なんでそんなとこから縄が出てくる」と突っ込むのは無駄な労力だ。縄があるならあるで便利なことには違いない。
 縄を振り回しながら同級生を追いかける悪魔に小さく溜息を吐きながら、さて、と傍らの彼女に向き直る。
 相変わらず目覚める気配はなく、悪夢を見ているかのように眉間には皺が寄ったままだ。おそらく貞操の危機にあっただろう彼女にとっては、実際、先刻までの状況は悪夢に違いなかった。
「手がかかるね、君は」
 誰ともなく、ひとりごちて、白い頬にかかる黒髪をよけてやる。まだ彼女の腕に通ったままのバッグの持ち手を外して己の肩にかけ、大の字に開かれている腕を閉じるように彼女の胴体に置くと、ジーンズの膝裏とコートに包まれた背中へとそれぞれ腕を回す。
 脳震盪でも起こしていたらいけないので、極力揺らさないようにゆっくりと上体を起こし、彼女の頭を自分の肩へと凭れかからせることで安定させる。曲げていた膝を伸ばしてそのまま抱き上げ、自分でぶち開けた異次元の破れ目へと引き返していく。
 柔らかな重みを感じながら、彼女を抱えている腕の感触へと意識の大部分が注がれているのを自覚する。
 異次元から抜け出る間際に、横目でこの奇妙な空間を見回してみたが、なるほど便利な職能を持つ悪魔のようだ。少なくともセクハラ三昧のあのブタ悪魔よりは使えるかもしれない。
 便利な、しかし趣味の悪い内装の異次元から現実の空間へと抜け出ると、道の脇に変態男とロップイヤーのような姿をした悪魔が、ベルゼブブとアザゼルに縄をぐるぐると幾重にも巻かれて拘束されているところだった。俺の背後では中に誰もいなくなった異次元の穴がぐにゃりと歪んで、次の瞬間にそれは跡形もなく消え去った。
(サルガタナスか)
 緊縛されて怯えている哀れな悪魔を遠目に眺めながら、是非とも手持ちに加えたいものだと、現在の契約主となっている男への『交渉』を目論む。
 と、肩口から呻くような声が聞こえ、見下ろしてみれば抱え上げている彼女が身動ぎしている。意識が戻ったか、と彼女がもぞもぞとしているのをしばらく見ていると、違和感に気付いたのか、眼鏡の下の瞼がぱちりと開いた。
「………え、なん、これ……っわああああああアクタベさん!?」
 ギャーなんでー!と、およそ年頃の女性には似つかわしくない悲鳴を上げながら一気に覚醒したらしい彼女は慌てふためいて、俺の腕から下りようとした。
「落ちつけ、さくまさん。暴れるな落ちる」
 これだけ暴れられるなら脳震盪の心配はないだろうと、とりあえず彼女の膝を下ろし、地面に足が着いたのを確認してから手を取って立たせる。そうしている間にも彼女は、わ、うわわ……と混乱が如実に表れている言葉を発していた。
「とりあえず状況説明。君はあの男に気絶させられて、起きる様子がなかったから俺がここまで運んだ。はい、理解した?」
 これ以上、彼女の混乱を招かないためにも簡潔に説明してやる。両頬に手を当てて忙しなく瞬きしていた彼女は、ややあって納得したらしく、「はい」と答えた。
「アクタベさんが運んでくれたんですね……すみません、わたし重かったでしょう」
「別に、そんなことはなかったけど」
 女性一人抱えられないほど柔なつもりはない。役得だったし、という本音は飲み込む。
「それより身体は大丈夫なの」
「あー……少し頭が痛いですけど、大丈夫です。なんか硬くて太いもので殴られたらしいところまでは覚えてるんですけど。うーん……」
 ぴくり、と彼女の発した言葉のある部分に引っ掛かりを覚える。なんとなく勘が働いて、目だけを動かして未だ覆面を被ったままの変態男の股間にぶら下がる粗末なモノを見る。
 ……なるほど、凶器の予測はついた。
 だが、彼女には真実を告げるのは止しておこうと思った。もともと男性に対して快い感情を抱いてない彼女がこのことを知ったら、余計に男性蔑視がひどくなるだけだ。代わりに悪魔どもに汚れ役を押しつけるか、と密かに不穏なことを考える。
 首を傾げて考え込む彼女の頭をぽんぽんと労わるように撫でながら、さくまさん、と呼びかける。
「事務所へ帰ったら、綺麗にしようね」
 あえて主語を省いて告げると、はあ、と気の抜けた、俺の意図を読み取れていないのが丸わかりな返事をされた。
 正解の行動としては、ここで彼女は俺の意図するところを問い詰めるべきなのだ。悪魔と渡り合わねばならない悪魔使いにとって、そういった詰めの甘い危機感の無さは己の身に危険を招くものでしかないというのに。

 どうやら彼女にはまだまだ指導が必要なようだ。



'11.06.29 wrote
役得ですよ、アクタベさん。