※アクタベがパパです。子供ネタ。
頼まれていた洗濯物も竿に通し終えて、空になったカゴをサッシ窓の前、フローリングの床に置いて、くぁ、とひとつ生欠伸を漏らす。
今日は天気も良く、徐々に暖まりはじめた空気に触れて自分の体もほんのりと温くなっていた。ベランダには燦々と爽やかな陽光が降り注ぎ、ワイシャツの白さや薄桃色のキャミソール、そして水色の小さなシャツの色彩を鮮やかに見せる。周囲にはこの陽光を遮るほどの高さの建物も無いから、ベランダの日当たりは良い。この分であれば昼過ぎには乾くだろうと見当をつける。天候の具合から洗濯物が乾くだろう時間を把握できるようになったのは最近のことだ。
洗濯物はすべてクリーニングサービスへ依頼してた以前であれば、こんな知識を得ることもなかったろうし、洗濯物を干すなんていう経験をすることもなかっただろう。知識は経験に基づく。数多くの本を読み、それなりに雑多な知識を有していると自負はしているが、そうして得た知識とて、誰かの経験等に基づいて生み出されたものだ。本の形に著されたそれを間接的に享受する。いわば、お零れの知識だ。それに対して自らの経験によって得る知識には、本から得るのとでは違う、具体的なイメージが伴い、脳だけではなく身体さえ記憶するような感覚がある。
たかだか洗濯物に大袈裟なことだと思えど、実際、そう感じるのだから嘘ではない。濡れた衣服の皺を伸ばす行為、竿に衣服の腕を通すこと、陽光を吸収した衣服の温かさなど、これまでには経験することのなかったものだ。なにせ、最初の頃は物干し竿への洗濯物の掛け方すら判らなく、とりあえず竿の上に服を二つ折りにして掛けておいたら、いつの間にか風に飛ばされて服が数枚消えており、近所を歩き回って探す羽目になった。呆れた表情で竿へはこうして服の袖を通して干すのだと教えてくれた妻はそれでも、どこかおかしそうに笑んでいた。ついでに、私の下着はあなたの下着の陰に干してくださいね、とも言われた。はあなるほど、としみじみ頷いた自分を、ほんとに洗濯物干したことないんですねえ、と彼女はまた笑ったのだった。
たいした成長ぶりじゃないか、と今し方洗濯物を干し終えた光景を前に、自分でそう思う。彼女に出会う前の自分がこれを見たらどのように感じることだろう。今でさえ時折、信じられないような気持ちになることがあるのだ、目を見開くかもしれないなと思いながらサンダルを脱いで窓枠を越え、ベランダから室内へ移る。
サッシ窓を閉めて室内――リビングへ目を向ければ、テレビの前では小さい子どもがラグの上に座り込んでテレビ画面を見上げていた。その目はテレビ画面に流れるアニメを一心に見ている。大人にとっては先が読めてしまえるのが多いようなものでも、子どもにとってはいたく興味を引きつけられるもので、一度テレビにそれが映ってしまえば視線が他に移ることはない。
そんな息子の後ろ姿を見ながら、自分もソファに腰を下ろし、ローテーブルに置いていた読みかけの本を取り上げて栞の挟まっていたページを開く。そうしている間にも、テレビからは「そのプリンをよこすのだ!」とか「いやよ、これは朝六時から並んでやっと買った一日限定三十個の濃厚とろふわいちごぷりんなんだから!」とか「仕方ない、これでどうだ……」とか「ああっ!そ、それは……諭吉さん……!」とか聞こえていた。飛躍しすぎじゃねえか、という展開をやっても許されるのがアニメというものだ。ベタな展開を辿ると思いきや、意外に面白い展開になったりするものもあるということも、最近把握したことのひとつであった。
文章を読みつつ、耳でテレビからの音声を聞いていると、くいくいとスラックスを引かれる感触があり、紙面から顔を上げてみると、いつの間にか息子が側にいた。あの子、気づいたら側にいることがあるんですよ、まるであなたみたいです、と妻が言っていたのを思い出した。この辺り、間違いなく自分の息子だな、と感じる。顔立ちはどちらかといえば妻の方に似ているのだが、ふとした仕草などは自分に似ていると言われる。二年前に生まれた息子は、キャラクター物の玩具等よりも、こどもずかんやキ●ダーブックしぜんというような読み物を好んでもいた。
ぴょこん、と髪が一筋はねている小さな頭を傾げながらこちらを見上げる息子に、本を閉じて声をかける。
「どうした」
「おとうさん、じゅーすのみたい」
こちらの太腿に身を乗り出して息子はそう伝えてきた。ああ、ジュースか。確か、冷蔵庫に子供用の飲み物が入れてあるはずだ。
小さな頭をひとつ撫でてから立ち上がり、キッチンへと向かう。その後ろにぽてぽてと足音が続いてきた。独身だった頃の小さな一人用冷蔵庫から随分と進化した、ファミリー用のシステム冷蔵庫の扉を開ければ、その内側にはりんごジュースとオレンジジュースの二リットルペットボトルが入っていた。足にくっついてきた息子を見下ろし、どちらがいいのかを聞く前に、高い声が上げられた。
「おれんじ! おれんじがいい!」
「はいはい」
ご希望であるオレンジジュースのペットボトルを取り出して扉を閉め、息子用のコップはどこかと視線で探す。と、シンク台の上の洗いカゴにそれを見つける。どうやら朝食後に食器を洗ってそのままだったらしい。某あんパンのヒーローが描かれたコップを取って布巾で軽く表面を拭き、シンク台の上に置いて、蓋を開けたペットボトルからとぷとぷとオレンジジュースを注ぐ。白いプラスチックのコップの中にオレンジ色が容積を増し、コップの高さ半分を越えたところで注ぐのをやめる。ペットボトルを冷蔵庫に戻すと、側にいた息子がシンク台へ手を伸ばしてコップを持とうとしていた。頭を押さえてそれを留め、コップを幼子の手が届かない高さまで持ち上げる。
「お前、こぼすから。ほら、ソファ行け」
以前、持たせてやったら、キッチンからソファに向かう途中で盛大に転んでジュースをぶちまけたことがある。本人もそれを覚えているのだろう、口答えせずに大人しくソファへ向かってくれた。聞き分けがいいあたりは手の掛からない子だ。
座面にしがみついてよじよじと足を上げた息子を、背中側のズボンの穿き口を掴んで引き上げてやりながらソファに上げる。ソファの上で向きを変えてしっかりと座り込んだ子どもの手へ、お望みのオレンジジュースの入ったコップを持たせる。ローテーブルに置いていた本を取り上げながら、コップを傾けてこくこくとジュースを飲み始めた息子の隣に自分も腰を下ろす。
「おかあさん、いつ帰ってくるの?」
「夜だな。べろべろになる前に迎え行かないとな」
ぷは、とコップから口を離した息子が横合いからこちらを見上げながら尋ねてきたのに言葉を返し、軽く嘆息する。
妻の大学時代の友人が誕生日を迎えたとかで、今日はお互いに男抜きで一日楽しむ日らしい。あそこに買い物に行ってー、夜はちょっと飲んできますねっ! と、家を出る前に嬉しそうにあれこれと語っていた。育児や家事に追われる普段にはなかなか無い機会だ、浮かれる気持ちはよく解ったが、最後の「ちょっと飲んでくる」という言葉にだけは一抹の不安を感じざるを得なかった。なにせ彼女の酒癖は非常によろしくない。本人もそれを理解しているし、今日は友人も一緒であるから、羽目を外すような真似はしないと思いつつ、「少しだけだぞ、日本酒はやめろ、カクテルかサワーにしとけ」と釘を刺すことは忘れなかった。
わかりました、と殊勝に返事をしていたが、さてどこまで守られるものか怪しい。店の場所は聞いているから、頃合いを見計らって迎えに行ってやらねばならない。
「ぼくもいく」
そう思っていると、案の定、横からそんな言葉が出てきた。本を開きながら横目で息子を見下ろす。
「起きてられないと思うぞ、お前」
妻の日頃の育て方のおかげで、息子は二十一時頃には眠くなる体のリズムになっている。迎えに行くのは、それよりももう少し遅い時間になるだろう。それまでこの子が起きていられる可能性は低かった。
「おきれるもん」
と、本人は頬を膨らませて言うが、こっくりと舟を漕いでいる息子の姿が想像できて、口元に薄く笑みが浮かぶ。一日、母がいなくとも泣きわめいたりせず、むしろ自分も母を迎えに行くと言える子だ。その健気さは称えるべきものであるだろう。どちらに似たのか。きっと自分ではない。
「そうか。じゃお母さんが酔っ払ってたら叱ってくれよ」
「うん!」
酔っ払い母親が子どもに叱りつけられている場面を想像するとなかなか面白い。たまには自分でなく息子に言わせてみるか、と思えば、夜が来るのが待ち遠しいような気にさえなってきた。オレンジジュースを飲みながらテレビを見る息子の頭をぽんぽんと撫でつつ、読書を再開する。
結局は、すっかり眠りの世界に落ちてしまった息子を抱えながら、べろべろになった妻を迎えに行くことになったのだが。帰路の道中、寝ている息子にちょっかいを出して起こそうとする鬱陶しい酔っ払いを宥めつつ帰宅した日の話である。
'11.11.03 wrote
プレシャス・ディズ
(パパタベ習作)